相反する事。

全ての世界には

相反する事が存在するのだと思います。


光と影

正と負

正義と悪

男と女

陰と陽



この世は陰と陽で出来ている。


よく、相手は自分の鏡、

なんて言いますね。


自分と他人も相反するもの。

昔の人は、

「人のふり見て我がふり直せ」

と言いました。


これはよく、

相手の悪いところを見て

自分は真似しないように、

自分もそうならないように。

と、とる事が多いのでは?


僕もそう思ってました。


でも、いろんな事に気がついてみると

それは少し違うのではないかなと。



相手は鏡。

だからこそ。

相手は自分の反対を見せてくれてる。


自分の中に「ある」ものを

相手が写してくれているだけ。


だとするならば、

「あの人のこんなところが嫌い」

何ていうのは、

事を返せば、

私は「自分のそんなところが嫌い」

って言っているという事になる。


「あの人のここが許せない」

ってのも、

私のここが許せないって言っているって事。




と、するならば。



許さなければならないのは

他人ではなく自分自身という事になる。



自分の中にある、

過去に「嫌ってしまった自分」や、

「許せなくなった自分」に対して

罪悪感、恨み、怒り、不信感、

無価値観、悲しみ、弱さなど、


自分を受け入れられなくなった部分を

相手は見せてくれているだけ。



受け入れられなくなると、

文字通り、

相手を受け入れられなくなる。


そもそもそんな自分ですら

受け入れられないのだから

相手の事などもってのほか。

受け入れられるわけはないですよね。



でもそんな気持ちを持ち続けたとしたら

あなた自身の人生に

一体どんな影響を与え続けていくのでしょうか?



例えば、

お父さんが浮気性で、

お母さんをいつも泣かせてた。

だからそんな良い加減で、

責任感もない、

相手を思いやる優しさもない、

自分勝手なお父さんが大っ嫌い‼️


という人がいるとしましょう。


その人は、

浮気する男性は絶対にダメ。

女を泣かせる男もダメ。

いい加減な男はダメ。

責任感のない人はダメ。

相手の気持ちを思いやれない人はダメ。

自分勝手な人は大っ嫌い。


となってしまいますね。



ただ。

そんな人が目の前に現れた時に、

それに反応するという事は、

心の中にそんな「傷」があるって事を

相手が教えてくれてるって事なんです。


そんな人ほどそんな人が現れてしまうのは

そういうカラクリがあるという事です。




でも。



そもそもそれって過去の記憶ですよね?


過去にそうゆう体験をして、

もう2度とそんな事になりたくない、

そんな体験したくない‼️っていう

強い思いがあるから

ダメ‼️大っ嫌い‼️

って反応しちゃうんです。



なので、

まずはそれは自分自身の過去の思いだと

わかってあげる事が大切なんです。


過去の思いが残っちゃってるって事に気が付いたら

そんな人を見て、

イラ‼️

ダメだって拒否感が出た時に

あら?

また過去の思いが出てきたな。

ってわかってきます。


今まで感情に溺れてた自分から

客観的に自分の事が見れるようになります。


そして、

そんな思いをして自分を苦しめてきた自分の事がわかってきます。


今まで相手にイラ‼️ってきてたのは

自分の中の過去の記憶だったんだ。

私は自分にイライラしてたんだな〜。

って。


そしたらもう許してあげても良いかな?

もうわかってあげよう。

もう手放してあげよう。

もう受け入れてあげよう。

って気持ちが出てきます。



それからのあなたは

同じように自分勝手な人を見ても

まぁそんな人もいるよね〜的な楽な気持ちで相手を観れる自分に気がつくと思います。


次のステップは。。。


そんな人たちが目の前からいなくなっていきます(笑)


これほんと‼️


そんな人たちと波長が合わなくなるから

自然と離れちゃうんです。




それを人は

「成長」と言います。



人は鏡と言います。


鏡は写っているものを反対に写します。

あなたが鏡に映っているのに

他人は鏡には写りません。

写っているのはあなた自身の反対側のあなた。

陽に行きすぎている場合は

相反する陰の人が現れます。

正義に傾いている人には

相反する負の要素を持った人が現れます。



バランスが崩れているから

バランスの反対側のあなたが他人に映っているだけ。



神社には鏡が祀ってあります。

それは手を合わせている自分自身を写します。

かがみ

真ん中の「が」を取ると

かみ=神となると言われています。


自分自身の写し鏡である他人は

神様があなたに教えるために、

気づかせるために、

来てくれている使者かもしれませんね。



これをどう捉えるかはあなた次第です